戻れないあの頃(2006.3.15 日記)

先輩は、うんうん、と二度うなずいた。

愚痴というものは、言い終えたあとのほうが重い。言う前は胃の上のほうにあったものが、言葉にしてしまうと胃の底に沈んで、そこで少しだけ固まる。先輩の相槌はやさしかったし、先輩は悪くない。それでも胃は重い。胃というのは正直で、しかも意地が悪い。

テーブルの上にスマートフォンが置いてある。画面は暗い。誰からも連絡はない。連絡がないことを確認するために、人はスマートフォンを置くのかもしれない、とぼんやり思う。画面が暗いまま光らないことを、何度でも確かめられるように。

新幹線で、前の座席の背もたれだけが見えている、あの感じ。背中の持ち主の顔は知らない。でも、ずっとそこにいる。気にしないでいようとするほど気になる、あの背もたれの感じ。いまの自分とその人との距離は、たぶんそのくらいだ。人の名前は出さない。出せない、というよりは、出す必要がもうない。

あの頃、という言葉が浮かんで、しかしあの頃がいつなのか、うまく思い出せない。戻れないことだけがはっきりしていて、どこへ戻れないのかが、霧のようにぼんやりしている。戻れないと知っているのに、霧のほうへ向かって少し歩いてみたくなる夜がある。今夜がそうかどうか、まだわからない。

スマートフォンの画面は、まだ暗い。

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